2017年3月10日金曜日

2016-09 Bukit Jering 小学校へ


Wakaf Bharu から乗ったローカル列車は内陸部の小さな町ダボン Dabong へ到着。列車はもう1駅先の Kemubu 駅が終点。Kemubu を出てすぐ渡る鉄橋が雨季の豪雨・増水で流されてしまっているためです。

Dabong を発車する列車


かつては路線バスの発着など一切なかった Dabong ですが、今回の雨季の長期鉄路遮断を受けて鉄道の補助的な交通手段として Dabong - Kuala Krai 路線と Dabong - Jeli 路線の2ルートが走るようになりました。駅前に待っていたバスの行き先を確かめると Jeli 行きだとのこと。僕の目的地 Bukit Jering の方向だったので乗車。バスは川を渡り、遠くに滝を眺め、約20分で目的地の Bukit Jering 小学校に到着。


小学校の守衛さんに「Pauzi 教頭はいる?」と尋ねると電話してくれて、Pauzi さんと再会。ちょうど運動場では子どもたちがボール遊びしていたので見学して回り、いくつかのクラスにも入れてもらいました。図工の授業なのか、凧を作っているクラスもあります。

田舎の町ですが子沢山のマレー人ですから小学校の生徒数も結構なものです。ここ Bukit Jering 小学校は周辺の6つの集落の子どもたちが通ってくる学校だそう。昨年初めてお会いした Pauzi さんは生徒たちにとても優しい教頭先生で、村のホームステイプログラムのリーダーでもあります。


Pauzi さんは苗木を持って、数人の生徒と僕を連れて運動場の隅へと連れて行きます。みんなで3本の苗木を植えつけ、女の子が水をあげて植樹は終わり。「きみが再びこの学校にやってきた記念樹だ!3度目のとき、どれくらい成長してるだろうか」と微笑む Pauzi さん、僕もなんだか嬉しくなりました。

2017年3月7日火曜日

2016-08 昼下がりのローカル列車


Wakaf Bharu 駅へと入線するローカル列車。客車はエアコン2等車を使っているのでまぁ快適なのですが、以前のおんぼろ非冷房客車も懐かしいな。


列車は Pasir Mas や Tanah Merah などの急行も停車する主要駅はもちろん、プラットホームのない地元の方が使うだけと思われる小さな駅にもこまめに停車していきます。

Wakaf Bharu (12:38) ⇒ Dabong (16:15):Shuttle55&57


途中、Krai 駅で列車番号ときっぷは変わるものの、乗り換える必要もなく客車も乗客も直通します。Krai からは買い物帰りと思われるお母さん・お婆さんたちが大勢乗り込んできました。


Krai を出るとトンネルや鉄橋が増え、列車はクランタン州の奥地へと向かいます。お天気もよく、チョコレート色の川を横に眺めながら内陸部へ。


だいぶ昔になんとなく興味本位で途中下車してみたものの、駅周辺にお茶できる食堂もろくになかった Bukit Abu 駅。僕のマレー語力の弱さに加えて、クランタン方言の入るマレー語にほとんど話も通じなかった苦い思い出です。駅の長閑さ具合や周囲の景色はとてもよくて、たくさん写真を撮ったなぁ、と思い出しました。

2017年3月5日日曜日

2016-07 ワカバル駅


コタバルでの2泊滞在後、マレー鉄道東海岸線のローカル線に乗ります。列車発車時刻を見計らってコタバル市街からワカバル駅へとタクシーで向かったのですが、駅到着寸前の踏み切りで長時間待たされてしまいます。挙句に乗ろうと思っていた Tumpat 行き列車を見送ってから Wakaf Bharu 駅への到着となりました。


Tumpat へは行けなくなってしまいましたが、その折り返し列車の Krai 行き(実際には直通で Kemubu 行き)のチケットを購入し、穏やかな空気の漂うホームや駅カフェで列車待ち。


構内の店のおばちゃんは空いたテーブルでコインを1枚1枚数えて袋に入れています。お釣り用にたくさんの10セントや50セントコインを用意しているのでしょう。どうやら10枚ずつ重ねて数えているようで、「ここ9枚しかないよ?」などとおばちゃんと話しつつテーオーアイスを飲みすごします。


駅ネコも暇そうにしてましたが、コイン数えは手伝ってくれません。

2017年3月1日水曜日

2016-06 真夜中のギリギリ乗り継ぎ

ETSはほぼ定刻にKL Sentral駅へ到着しました。


JB Sentral - Hat Yaiという長距離を運行する夜行列車、ペニンシュラ・エクスプレスや新型客車を繋いだエクスプレス・ラヤッのポスターが見られますが、複線電化区間での輸送の主役は客車列車から高速電車ETSへと変わりつつあります。


KL Sentralで友人と待ち合わせ、食事とお茶しながら夕方の時間をすごし、夜遅くにまたKL Sentralへと戻ってきました。これから夜行列車を乗り継いで翌朝にはクランタン州へと入る予定です。

KL Sentral (22:15) ⇒ Gemas (01:06):Senandung Sutera25

Gemas (01:15) ⇒ Gua Musang (09:15):Senandung Timuran26

まずは、Ipoh発JB Sentral行きのSenandung Suteraに乗車します。下車駅のGemasには真夜中1時過ぎの到着で寝過ごしては困りますから、寝台ではなく座席車両をチョイス。真っ暗な車窓をぼんやりと眺めつつ、寝入ってしまわないように注意しながらの乗車です。Tampin駅を出た時点で約15分の遅れ、乗り継ぎ時間がほとんどないので不安になってきました。

1時14分、Senandung SuteraはGemas駅4番線に到着。完全に停車するのすら待たずにドアを開けてすぐホームに降ります。向かい側3番線には乗り換え列車のSenandung Timuranがいますが車掌は緑色の旗で機関車の運転手に発車オーケーの合図を送っていて列車はゆっくりと走り出しました。慌てている哀れな外国人を見つけた駅員が機関士にライトで合図を送ってくれたので走り始めていたSenandung Timuranは急停止し、僕はなんとか乗り換えることができました。

乗車後、寝台下段でホッとしていると気のいい感じの車掌さんが検札にやってきて、「あんたは本当にラッキーだよ?基本的に接続取らないからね、お互い遅れてくるのが日常だし。とにかくよかったね、ジャングル列車でぐっすり寝なさい」と言い残していきました。


翌朝9時半、列車はGua Musangへ到着。Gua Musangから先、内陸部のKemubuまでの区間は雨季の河川増水で複数個所の橋が流されてしまい、まだ復旧できていないため代行バスに乗り換えです。

2017年2月27日月曜日

2016-05 ETSの車窓から

まもなくSerembanに到着します。

Seremban駅に到着。

客車列車とのすれ違い。

まもなくNilaiに到着します。

自動放送はマレー語案内は女声、英語案内は男声。

まもなくKajangに到着します。

ドア開閉の注意喚起放送もあります。

ご乗車ありがとうございます、次はKL Sentralです。

2017年2月24日金曜日

2016-04 新型ETS


昼下がりのGemas駅。エントランスには旧来の客車列車の絵が飾られていました。新駅は1番線から6番線まで3つのホームを持つ分岐駅らしい規模の作り。今はまだ列車本数も少ないですが将来的にはにぎわうのでしょう。


ホームには勝手に入ることはできず、列車発着前に駅員の案内があってからチケットを見せてホームへと向かいます。ここGemasから北方は複線電化区間なので高速電車ETSが走る区間。まずはクアラルンプールまで約2時間の乗車です。ホームにやってきたのは第二世代の新型ETS車両でした。中国製の6両編成。先頭車両の流線型具合など第一世代車両に比べると洗練された印象の車両です。


少しの乗客を降ろし、折り返し運転に向けての車内整備や乗務員交代ののち、タイ国境Padang Besarへと向けて出発。

Gemas (14:00) ⇒ KL Sentral (16:10):ETS EG9204


車内はモノクラス、座席の向きは固定されていて変えられません。ほんの一部、センターテーブルを挟んで4人グループ向けの座席もありますが全体的には前方向きと後方向きの固定座席が2席ずつ並んでいます。E-ticketサービスでは座席の向きなど詳細はわからないので改善してもらいたいところ。各車両には大きな荷物を置けるスペースもあり、カフェテリアコーナーと車椅子用設備、ムスリムのためのお祈りスペースも設置、天井や車端部には案内モニターもあり、自動放送も付いています。最高時速の140kmを記録した瞬間を写真に収めました。

2017年2月21日火曜日

2016-03 切り取られた鉄道歴史遺産

JB Sentralからの5時間に渡るローカル列車の旅を満喫したあと、まだ真新しさの感じられるGemas駅の改札を出て、エレベーターで降り、駅前ロータリーに向かいます。最近のマレー鉄道駅は駅前にロータリーと駐車スペースが整えられていて、自家用車やタクシーでも駅に訪れやすく配慮されています。


新駅舎から3分ほど進むと・・・、切り取られたように旧駅舎と跨線橋、ホーム、線路が残されています。線路にはまだ走行できるんじゃないかと思うくらいの状態の旧型のディーゼル機関車も保存されています。


Gemasはマレー鉄道西海岸線と東海岸線の分岐駅、町自体は歩いてぐるっと回れるほどの小さな町なのですが鉄道駅としては重要な役目を持ちます。個人的にも思い入れのある旧Gemas駅が新駅完成後も取り壊されずにこのような形で残ってくれたのは嬉しい限りです。

むかし、僕がマレーシアを訪れ始めた頃、このGemas駅を朝7時頃に出て、マレー半島内陸部を突っ切るTumpat行きのローカル列車がありました。3両くらいのおんぼろ客車で小さな駅をこまめに停車しながらクランタン州に着く頃には日も暮れるような12時間以上かかる長距離鈍行列車でした。この旧Gemas駅は、その列車に乗るために食堂やベンチで夜明かしをした思い出の駅なのです。当時は夜行列車や貨物列車も多くGemas駅は一晩中稼動していて、たくさんの鉄道職員がいろいろな仕事をしていたのを眺めながら朝を待ったのです。


旧駅舎を活用した食堂があったのでランチタイムに。乗り換え列車までは1時間半ほどあるので、食事と小さな町をぐるりと歩いてから新駅舎に戻ります。