2015年8月6日木曜日

12 コタバルへ、そして再びタイへ

 
Kampung Rhu Sepuluhでのホームステイ最終日、お母さんからお土産にクロポッを、Azimくんからは1MalaysiaやTerengganu州旗のロゴ入りパーカーをいただく。そして、出勤前のAdnanさんがPermaisuriのバスターミナルまで車で送ってくれた。たくさんお世話になったのでお礼に少しお金を渡したかったのですが、頑なに受け取らなかったAdnanさん。楽しい滞在をありがとう!クアラトレンガヌ発コタバル行きのバスが午前9時頃にPermaisuriに寄るということで40分くらいバスターミナルのベンチに座って待つ。そろそろかな?と思った頃、バスより先にやってきたのは仕事着に着替えたAdnanさん。僕がコタバル行きのバスに乗り込む9時20分まで一緒に待ってくれました。バスは11時15分、コタバルに到着。

(おまけ)コタバルで見かけた「Tako」という名前のイカのお菓子。イラストは明らかにイカだし、Squid Snackって書いてあるのに。。。

 
コタバルの市場。2階や3階に上がって、吹き抜けを見下ろすと青果や魚、肉とそれを売る鮮やかな服のマレー人女性がよく眺められるこの構図がすごく好きです。

コタバルからローカルバスに乗り、ランタウパンジャンへ。出入国手続きをしてスンガイコロク駅へと向かいます。14時半発の列車に乗りたいと思っていたのですが、バスが遅かったり、手続きの際に予想以上に列が長かったせいで希望の列車には間に合わず。スンガイコロク14時55分発の列車にギリギリで間に合ったので汗ダラダラの状態で乗り込みます。

 
スンガイコロクからハジャイまで、快速列車3等車で92バーツ。

Sungai Padi駅に到着、軍兵士の持つ銃がものものしい

 
駅の前後の踏切では列車の通過を待つバイクと車がたくさん。緑と赤の旗だけで運転手や車掌とやりとりをする駅長。タブレット交換もあるし、まだまだのどかな駅の風景。

Sungai Padi駅を発車

 
一つ隣のボックスにいた女の子。ヤラーで降りる直前にはきちんとスカーフを被っていた。ヤラーでは大勢の客が下車した。乗ってくる客はほとんどなく、列車はガラガラに。

 
「世界の車窓から」でありそうな構図で写真を撮ってみる。パッタニーには18時過ぎに到着。

11 カンポンでの過ごし方 その2

 
Kampung Rhu Sepuluhでの滞在も3日目。断食月恒例の早朝4時半の朝食を済ませたあと、うとうとと二度寝をしてしまい、目覚めたらもうお昼前でした。

 
真っ黒なホコリの溜まったセンプーキ。蚊や小さな虫が多いので、蚊取り線香は欠かせません。蚊取り線香を炊くと床には無数の虫が落ちてきます。

 
Azimくんが「チョンカ(congkak)でもやりませんか?」と誘ってくれる。このチョンカという遊び、僕はいまいちルールを理解していなかったのですが、今回Azimくんがわかりやすく教えてくれたので完全にマスターできました。ゲームをしながら、「将来はどうしたいの?」とか聞いたり、日本のことを質問されたり、カタコトでいろいろなことを話しました。小さい弟や妹たちは僕のプレゼントしたシャボン玉や塗り絵で遊んでいます。

 
夕方、Adnanさんがいろいろなフルーツの木を見たり出来る隣の村に行こうと言います。クルマで行くもんだと思っていたら、バイクでした。友人宅を数軒連れまわされたあと、フルーツを収穫することになりました。

 
長い棒の先に刃のついた道具を持ってAdnanさんの友人が登場。

 
たくみな棒さばきで、たくさんの実を木から落とし、持ち帰ります。

 
夕食のあと、4年生の女の子が課題をやっていたので、教科書を見せてもらったり、一緒に課題をやってみました。

 
布に絞り模様をつけて染める、という課題で白い布を何箇所か輪ゴムで縛り、絵の具を塗っていきます。塗り終わると布を乾かして、輪ゴムをはずして出来上がり。

 
バティック(ろうけつ染め)の染め方の仕組みを学ぶ課題だったようです。

時折、海岸の方で花火が上がり、音がするたびにみんなで花火を眺めた夜でした。